代表からのご挨拶

不思議で魅惑の国・インド。インドについてこれまでいろいろな話を耳にしました。

21世紀半ばに中国に次ぐ世界2位の経済大国に成長すると見込まれるインド、日本では想像できない貧困に苦しむ人々が溢れているインド、IT・アウトソーシングで躍進するインド、また行きたいインド、もう二度と行きたくないインド

インドについて語る人の立場や遭遇した環境によって、それぞれの感じたインドがまったく異なる国のようで、いったいどれが本当のインドなのだろうか、という疑問が、私がインドについて関心をもった最初のきっかけでした。

インドについていろいろ調べるうちに、インド経済は中間所得層の増加を背景に、日本が過去に経験した高度経済成長のようなフェーズにいるということ。ほとんどの産業の年率成長は増加の一途をたどり、その成長を世界が注目していること。多額の資金が海外からインドに流入していることで、さらなる雇用機会の増加と成長が見込まれるということ。そのような状況においては、個人はどの産業に属し、どの企業で働くかということにほぼ関係なく給料の増加が見込めるということ。たとえ、いま貧しくともチャンスさえあれば、生活を一変できる可能性があるということ。若年者人口が将来にわたり豊富なことで、インド市場は今後継続した成長が見込まれるということ。
インドの情報を得れば得るほど、少子高齢化により、国内の労働人口と消費人口が減少し、市場が縮小傾向にある日本。将来、少数の働き手が高齢者を支えなければいけない状況になると見込まれる社会保障制度の日本。国民の消費意欲が乏しく経済が低成長の日本。そんな日本とインドは真逆の社会・経済環境なのだと思うようになりました。ただ、それと同時に、社会・経済環境のフェーズが逆であるのならば、両国が相互に補完できる関係を構築することも可能なのではないかとも考えるようになりました。たとえば、若年者労働人口の補完、製造業における製品開発拠点と量産拠点の役割分担、工業国への発展の過程で公害問題に対する法令等や予防の仕組みの共有など、日本が不足するものをインドから補い、インドが不足するものを日本から補うことにより、日本とインドがともに繁栄することができる可能性があるのではないかということです。インドはその潜在的な需要の大きさと世界展開するための重要拠点という位置付けのみならず、日本の国家戦略上の重要なパートナーにもなり得るのだと認識するようになっていきました。

私は日本で公認会計士として主に財務的な側面から企業の事業活動のお手伝いをしながら、20世紀から21世紀への世界経済環境の大きな変化と国際関係におけるパワーシフトにより、日本経済が大きな困難に直面し、世界のパワーバランスが変化するなかで、各国が変化を迫られ、そして企業が変化を迫られ、さらに個人も同様に変わっていかなければいけないのだという思いを抱いていました。

国や企業が直面している構造変化の背景の一つは、世界のグローバル化の進展なのかもしれないと考えています。経営学では、経営資源として4つの資源が挙げられることがあります。ヒト・モノ・カネ、そして情報です。これまで様々な分野でグローバル化が進展した結果、様々なものが国境を越えて世界で自由に、そして活発に取引されるようになりました。例えば、物流システムの発達と各国経済の自由貿易の推進により、様々なモノが世界で活発に取引され、対価さえ支払えばほとんどのモノが手に入るようになりました。また、各国の金融システムの発達と金融の自由化によりカネが世界で活発に移動するようになりました。さらに、IT技術の飛躍的な進歩により世界中の情報が国境を越えて自由に飛び交い、世界のどこにいても必要な情報にアクセスすることが可能になりました。そして、4つの経営資源のうちの一つである、ヒトについて、いまグローバル化への対応が特に求められているのではないかと感じています。
20世紀までは、「GMにとって良いことは、アメリカにとっても良いこと」という言葉はある意味で正しかったのかもしれません。しかし、ある国で創業した企業がグローバル化を進めていくことで、企業は世界各地で事業活動を行うようになり、より安価な労働力を求めて海外に工場を移しながら、少しずつ創業した国で必要としていた労働が減り、そのかわり海外での雇用が増えていくことになっていきます。そして、その企業の業績にとって良いことは、その企業が多数の雇用者を抱える国にとっては良いことだが、その企業が創業した国では必ずしも良いこととは限らないこともあるということです。企業が自由に国境を越えて競争優位を確立できるところでヒトを獲得すればするほどに、競争優位を見出されない国の雇用は減少することになるかもしれません。

企業が、社会への貢献、そして雇用の提供という使命を果そうとすればするほどに、企業のコスト優位性は低下することが起こり得る状況に変化しているのではないかと思います。そして、企業がコスト優位性を重視し、コスト優位の地域のみで製造活動を行おうとした場合、既存の国内雇用の削減という苦しい境地に立たされることになることが予想されます。これがいま企業が直面している、ヒトのグローバル化に関する問題なのではないかと感じています。

そして、これは企業の問題であると同時に、個人の問題でもあると思います。企業はみずからの存続のために国境を越えてあらゆる選択肢の中から競争優位を確立できる方法を見出そうとし、それは個人にとっては、特定の企業に依存した労働が続けられないことにつながります。この場合、個人は世界や国内の経済情勢を踏まえながら、自身を必要とする企業へ労働を提供する必要があるのだと思います。ヒトのグローバル化の対応は企業のみならず、個人においても求められているのだと感じています。

個人がグローバル化するということは、まさに個人が国境を越えて、活発に国内・海外で活躍することなのかもしれないと考えています。個人はあくまで自身が生まれ育った地域の文化や習慣を基礎として人間が形成されていく、モノやカネそして情報ほど、単純に、自由に国境を越えて活動することはできないのではないかと思います。そして、その際に必要になるのが、同一の地域・国出身の個人のコミュニティという存在なのかもしれないと感じています。異なる文化や環境のなかで、精神的・肉体的な重圧を和らげ、数々の困難の解決を助け、支援する場所がコミュニティだと思います。ヒトのグローバル化が必要ないま、日本人にとってのこのようのコミュニティこそが「和僑コミュニティ」であり、いまヒトのグローバル化のために必要とされている要素なのではないかと感じるようになりました。

 

少子高齢化が急速に進む日本、経済の低成長率が続く日本、先進国でダントツに高い政府債務のGDP比の日本、国家財政を圧迫する社会保障費、世界経済の需要が新興国地域に重心を変えつつある中で日本市場の戦略的な位置づけの再考、東日本大震災から発生した原子力の利用に関する議論など、明確な解決策の見えない将来に対する不安や心配などにより、今日の日本に大きな閉塞感が漂っていると感じています。

閉塞感を打破する。単純に考えると答えは意外とシンプルなのかもしれません。閉塞感はそのことば通り、「閉じて塞がっている感じ」であり、その閉塞感を打ち破るには、「開き解放すること」。そうすれば閉塞感は次第に消滅する気がしてなりません。個人が自由に国境を越えて活動がすることができるようになること、つまり個人がヒトのグローバル化に対応することが、個人にとっての「開き解放すること」を意味するのではないかと考えています。

「一身独立して一国独立す」

自分自身を顧みて、ヒトのグローバル化に対応し、国境を越えた自由な活動することが可能になっているかと問われると、まだまだ途半ばであるというのが正直な答えです。ただ、だからこそ、自分自身が、日本人の多くが直面する課題と同じ課題に向き合い、その課題を乗り越えるための試行錯誤を、実体験を伴い経験できるのだとも考えるようになりました。その過程で必要な「和僑コミュニティ」とはどのようなものかについても理解することができると考えています。

そして、それがインド和僑のためのコミュニティ「インドーア」を運営しようと決意した一つの理由です。いつの日か、このインド和僑のためのコミュニティ「インドーア」が多くの方の役に立ち、ヒトのグローバル化に貢献できる存在になり、そして、日本とインドがともに繁栄し、将来に対して夢や希望に満ち溢れた、たくさんの笑顔のある社会になればいいと願っております。

そのために日々精進していく所存です。どうぞよろしくお願い申し上げます。

インドーア代表
水谷 新